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雑感。思いのままに。 Whatever I feel like writing, I will.
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Pacific Bridge 2-days!

皆様、こんにちは。5月もあっという間ですね。サロン・パパゲーノでのサロンコンサートでは銀六珈琲「時・・」(じてんてん)のマスターとのコラボで、厳選された豆を使用した珈琲&ミュージック企画を行います。詳細はまた後日アップ致します

5月に入るといよいよパシフィック・ブリッジ2Days!です。新しく書き上げたオリジナル曲も交えて皆様にお届けします。パシフィック・ブリッジ特有のサウンドの陰影とエネルギーの衝突のコラボを存分にお楽しみください!
 

メンバー:
ヒロ・ノグチ(tp)
武井努(ts)
生田さち子(p)
西川サトシ(b)
竹田達彦(ds)

5月7日(金)姫路「ライラ」
兵庫県姫路市立町71
079-224-9469
1930スタート(になったためしがないけどがんばります笑)
http://music.geocities.jp/layla_nobu/

5月8日(土)西宮北口「コーナーポケット」
1900オープン1930スタート
西宮市甲風園1-12-15富永ビル2F
阪急西宮北口駅北西出口から北へ2分
Tel.0798-64-5402
http://www.cp-paragon.com/main.html
http://www.cp-paragon.com/i(携帯から)


■その後は「プロジェクトH.N. Vol.4」の2-Days@パパゲーノです。
5月20日(木)マスタークラス(現在1団体決まっているのであと2つの空きがあります;ソロでもアンサンブルでも受け付けます)
5月21日(金)サロンコンサートになります。佐藤聡明『光-ピアノとトランペットのための』、シュトラウス「万霊節」ほかをやります。


場所:サロンパパゲーノ
東京都新宿区中井2-1-28 大本ビル4階(2階が熱帯魚やさん、新目白通りと山手通り角)
西武新宿線中井駅下車、徒歩8分
または都営大江戸線落合南長崎駅徒歩6分

●日時:2010年5月20日(マスタークラス)、5月21日(コンサート)
●開場18時00分(頃)
●開演19時00分(頃)
20日のマスタークラスの開始時刻は18時30分です。
●入場料に付いては現在珈琲と合わせた料金プラン設定も考えてますので、後日アップします。

 

■5月22日からは帝劇に缶詰です。久しぶりに東京から1ヶ月出ない生活になります笑 ミュージカル「キャンディード」やります。ラッパはアタシ一本です。よかったら冷やかしに来てやってくださいまし笑 6月27日が千秋楽になります。

公演日程とチケット情報です。ブロードウエイでミュージカルやってた日々から早5年近くが経とうというのですね、月日の経つのは早いものです。
http://www.tohostage.com/candide/ticket.html

 

宜しくお願い致します。

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色々ネットサーフィングをして、ウイスキー関連を調べていたら、まさかのウイスキーに出会った!

ポートエレン、1981-91 10年 サマローリ。 色々な所で評判のよいモルトである。そんなモルトにいつかは出会えるのかな、と思ってコレクションを始めて一年弱。本格的に始めたのは今年3月だったので、中々運がいい。 今日(月曜日)発送されているから、近いうちに着くかな。すごく楽しみである。開けるかって? 友人の遠い将来の還暦祝いに開けようか、ということで、ご勘弁笑
ついに来た。


イギリスの某サイトで注文したダンカン・テイラーの初代ピアレスボウモア1966、36年。

思い出深い酒であるので、喜びもひとしお。

エクスチェンジのサイトで売っていた1967のフル・ストレンクスは売れていた。ガックリ。


このサイト、ラフロイグの品揃えが特に素晴らしい。特筆レベルである。1974の31年ものは欲しいなぁ。

日本のサイトにもこういうのがある。

http://www.rakuten.co.jp/s-wine/
http://wiki.livedoor.jp/ophiuchi/d/MACALLAN2#content_3_0_6

はやくも10月である。時間の経つのは早いものだ。

将来の活動のプラン、ヴィジョンを練って、実行に移している過程であるが、やはりあっというまに月日が経ってしまう。初めてフィリップ・スミスのレッスンを受けた高校生の夏、そのときのスミスの年齢にこちらがなってしまったというのは前にも書いた。現在は色々葛藤がありながらも、充実している。

自らの反商業主義のスタンスを徹底的に貫いても音楽家として生きていけるという自信が備わったと同時に、今まで心のしがらみに捉われて現実的に考えなかった事も、全然実行可能である、と思うと、色々なイマジネーションが膨らんでいる。これがすごく楽しみである。ただ、そうやって充実した人生を送っていくと、あっという間に終わってしまうな笑 これってどうなの?と思ったが、それもまたよしではないか、と思う。

人生、必ず終わりは来るものだ。しかし、時間の過ごし方はまだまだ創造的余地がある。不惑へ向かって色々煩悩し、葛藤しながらそのハザマで生きた音楽を創る。その素晴らしさを感じながら生きられるのは音楽家冥利に尽きるというものだ。

最近、ウイスキーコレクションを始めた。まぁここ7ヶ月くらいの事である。最初はブレンデッドの年代物からはじめて、それからシングルモルトを集め始めた。集め始めたといってももちろん「財産」にする予定は別になく、飲みたくなったら開けてしまう。でも色々奥の深い世界で、一生をかけて色々学んでいけるものなので、大いに気に入っている。

最近手に入れた物で「これは!」と思うのは

ブナハーブン 1968 Auld Aquaintance
ポートエレン OB ファースト、サードリリース と 1978 UD レアモルト 22年
ブリュイックラディ 1965 10年 サマローリ
ラフロイグ 15年 ビッグレッド
マッカラン ESC I と II と GMスペイモルト 1967 とシェリーの30年
クライヌリッシュ 35年 1972 TWE
ラガヴーリン スペシャルリリース 1985 21年
ボウモア 1972 30年 ケルティックシリーズ と 最近のピアレス1969
イチローズモルト キング・オブ・ダイアモンド セカンドリリース 
ブローラ 1981 ピアレス 26年

デュワーズのホワイトラベルはグレートエイジ後期3本、東洋醸造2本
バランタイン明治屋時代の12年3本
ジョニ黒は通関シール三菱商事からコールドベック、UD時代までさまざま
ジョニ赤も通関シールの雑酒時代からコールドベック後期まで
あとはピンチ・ディンプル数本
70年代のホワイトホースとレアード・オ・ローガン

等をはじめ、色々手に入れた。あとはブッカー・ノウの出たはじめの年の奴とかロマーノ・レーヴィのグラッパも数本。

はじめるともうとまらない。しかし楽しい。

2008年05月25日12:18

音と音楽は違う物である。それはなぜか。

作為を込めれば音が音楽になるとは限らない。演奏する側がその際に作品から有機的秩序を見出だし、なおかつ聴く側の感性がその有機的秩序から内的真実を感じ取れる時にのみ、初めて音楽に生命が宿るのである。

音楽に於いては、自然の美も、人造美も成立すると思う。ただ、美を感じるそのさらに奥にある「真実」を感じるようになれれば、音楽がその人の人生にさらにプラスな要素をもたらすと思う。もちろん、娯楽、エンターテインメントとして聴くのも重要な音楽の楽しみ方だ。しかし、人生の道のりに葛藤、挫折、絶望があるときに、人の心を根本から癒し、奮い立たせるには娯楽を超えた発想のものが必須と感じるのだ。

音楽、本能とハートだけではできない。でも理知だけでもできない。ただそれを作為的に発生させるよりも、無心になったときにその二つの要素が一番バランスよく融合されているんだなあと感じ、生命の神秘にただただ畏怖するだけである。

日常の何気ない自然の作り出す音に我々は美を感じる。そこにきっと「音楽」を感じているのだろう。そして技術を超えた世界が音楽にはある。だから上手くなくても人の心は満たす事が出来るんだ。
2008年05月23日16:13

久々に彼の演奏するフランクのプレリュード、コラール、とフーガを聴いた。昨日観たドビュッシーの喜びの島とラヴェルの時にも思ったが、ピアノに語りかけ、やさしく撫でているようである。そして変化自在の音色、深いドラマ、自然のエネルギーが与えるかのような霊感。

ヴェデルニコフのフランクの別の曲「プレリュード、フーガと変奏曲」を聴いて感動、それがフランソワを聴きたいとふっと思わせた。

やはり、自分には、何にも囚われない自由な精神が必要だし、それが自分の中にあるのはハッキリ解る。曲っていうのはさらうもんじゃない。自分の血の中に流れるまでその曲と対話するものなんだ。
2008年05月19日01:18
よく、忙しいのはいいことだ、と言われるが、オレはちっともそれがいいこととは思えない。なんかそんな事を考えていたら、色々自分の中に湧き上がる思いがあり、それを書き記したい気分である。脈絡がない箇条書きだが、もしよかったら参考にされたし。

精力的に活動する事には良い事もある反面、悪いことも多分にある。もちろん心のゆとりがたっぷりあったから熟考に熟考を重ねた珠玉の作品が生まれるかといえば、そうは思わない。気力の充実と日々身の回りで起こる事の波長があり、それによって人間的不確定要素が、若干演奏に変化を及ぼすとは思うのだ。だから忙しくて色々な事に忙殺されていても、その波長がステージ上でうまくピークを迎えた時は、何か特別な物が自分のインスピレーションから生まれると思う。その波長がピークでなくても、演奏はもちろん楽しんでいることがほとんどなのだが。でなければ、こんな事やって生計を立ててない。

惰性で演奏をするのは聴衆に対する冒涜だ、なんてキレイ事は言いたくない。前も言ったように、演奏会とはアットホームな雰囲気の「一緒に時間を楽しみましょう。自分の作品を提供する対価は戴きますが、その分楽しめる時間が提供出来ることを願って私の時間と労力をみなさんに捧げます。なのでみなさんもこの環境を一番楽しむには、この雰囲気とアンサンブルしてくださいね」といったものであるから、聴衆の波長、テンションがイマイチ乗り切らない時もあれば、オレの波長、テンションがイマイチの時もあるのだ。

でも、演奏会に数字上のCPを求める事というのは、演奏者としても、聴衆としても、非常にイヤな事ではないか。「一期一会」とは表面上の「完璧」を求めることであって、もしそれが得られなかったらすなわち「客に対する冒涜」という意味合いを持つのか。だとしたら非常にそれは横暴な事ではないのか。そんな環境、風潮が音楽界を支配しているのなら、それは演奏者はイヤになるだろう。過去の芸術家、アーティスト達もその思い、葛藤を抱いてきただろう。その空間が自分の楽しめるものではなかったら人生にその縁はないだけであり、それぞれがお互いにとっての良縁を探せばよいだけである。もちろん、自分の世界に閉じこもらないだけの情報は常に集め、高いレベルの好奇心を持つことは大前提としてだ。

なんか、いかにも「常に質の高い物を提供するのがプロだ」「お客様の為にうんぬん」といったおざなりの言葉に疲れているのかもしれない。自分で考え、自分で感じて、それを人生の糧にしている人に自分の演奏会には来てほしい。

現在の音楽業界の煽って、売って、使い捨ててという風潮は嫌いだし、それを受け入れる側のミーハーな風潮も大嫌いだ。海外招聘アーティストの演奏を表面で聴いてハートマーク丸出しで、つたない通訳で本当にアーティストの発しているニュアンスが伝えられず、結果なんの変哲もない有名人サイン会に成り下がっている音楽イベントを積み重ねて流行を作り出しても文化なんぞにはならない。自明の理だ(まぁ、それでも自分で考えている人達がきちんとそこからもっと深いレベルで影響を受け、研鑽を積み、そして現在があるのだから、マイナス面だけではもちろんないが)。

地道に芸術を磨いて、文化の一環とせんという人間に対しての門戸の狭さにはしばし閉口する時もある。

よく誰かのCDを聴いているときに、一緒に聴いている人達の何気に発する言葉を流せないことがよくある。「ミスが多いですね」とか「あんまりピンと来ないですね」とか。本当にその作品を熟知し、熟考と吟味を知っている人間が琴線と触れ合わないという意味合いでそれを使うのはある意味しょうがないところもあるかも知れない。しかし、安易にそういう言葉を発する所に敬意はあるのか。それを「聴き手」というだけで、発する事はいいのか。そんな免罪符は誰も持っていない筈だ。自分の頭の中にあるうっすらとした既成観念をベースにその言葉を発しているのであったら不幸な事だ。オレが年を取るにつれ、「アーティストの好み」が無くなってきたのにはそういう理由があると思う。

「心の乱れ」「人生の路を歩む上での軌跡、大事な1ページ」に不本意な演奏も含まれているのかもしれない。しかし、不本意な部分が演奏にあったとしても、その時間、その人が生きているその時間には決してそれに対してその人達は不本意な思いは抱いていないと思う。フランソワやコルトー、スターシクが音をミスっていても、その芸術世界はまったく曇らない。



ははは。脈絡のない文。陳謝笑
2008年05月16日01:08

これはカペルが1953年夏、オーストラリアからシャーリー・ローズにしたためた手紙からの抜粋である。「聴衆」と云う物の存在を感じなくていい時に本当にアーティストとして創造が出来るという話は過去の日記に書いた。今回は、ステージの上に上がる時に、または練習過程で何を想い、考え、実行すべきなのかを考えてほしい。オレが共感した言葉はこれだ。自分でも常に思うことだ。他人の言葉を通すと、ひょっとしたら諸君も閃くかもしれない。

(ショパンのh-mollのスケルツォについて)「I have not, to this day, enough technique to play evenly, but I have enough to play it with my insides. And while I am a little out of patience with my silly hands, I realize that I have attained enough strength to give the work my feeling for it. What else can I do?」という言葉と

(この曲を均等に安定して弾くだけのテクニックは未だに持っていないんだ。しかし、内に秘めている物はこの曲を演奏するに充分足る物なんだ。自分の手に対して些か不満を感じるところはあるが[思い通りに動かない事に対して忍耐しきれない]、自分がこの曲に対する自分の想いをぶつけるだけの力を持つことは理解している。それ以外に何が出来るって言うんだ?)

「Consider each challenge soberly, and then, step by step, meet it in your own way. That's what I try to do. Sometimes my fingers work, sometimes not, -the hell with them! I want to sing anyway. And my heart seldom doesn't work. So don't brood over technique too much. Remenber that you are a musician.」 (一つ一つの難関[挑戦]を冷静に見据えて、そして一歩ずつ、自らのみに出来る方法で解決していくんだ。それが私がする事だ。もちろん、指が[思い通りに]動くこともありゃ動かないこともある。そんなことはクソ食らえだ!私はどうなったかに関わらず、歌いたいんだ。そして自分のハートが自分を見捨てることは殆どない。だからテクニックに不必要に固執するんじゃない。君は音楽家なのを常に思い出すんだ。)

2008年05月04日17:49 

オレが本番で平静心を保てるようになったきっかけ・・・事前の結果操作を止め、100%に執着しなくなってからだ。それに開眼したのは1999年。1994年~4年くらいはやはり自分との闘いに葛藤した。その時期に国際コンクールとかやってたからまぁあまり結果が出なかったのは当然だなぁ、と思う。でも自らの能力、ヴィジョンは自分で信じてたし、その苦労あっての現在だ。人生努力、研究を具体的にしていき、そこに意志力とインスピレーションが繋がればきっといい方向へ行くのだ。

そんなのを思い出させたきっかけが今偶然読んでいたドラゴン桜19巻。173限目「フリースロー対決」だ。そこに執着のメカニズムがわかりやすく書かれている。本番で緊張してしまう人、これを読んで見たら面白いかもしれない。結果に固執せずに尚且つ、自分が今からやるべき事を具体的にしっかりとイメージし、考えながら踏み出す一歩。怖く感じるだろうし、不安だろうと思う。しかし、その先に見えるものは、必ず本当の自分の持ち味を出すきっかけになっていくものだと思う。

後は20巻178限目「真の強者」。これはいい言葉が入っている。特に攻めと守りのアプローチを両方把握した真の強者の心理。「勝負所で躊躇するヤツは勝てないし成功しない。勝負が懸かった大事な場面で開き直れるか、開き直れないか・・・強者は思い込みで開き直れるが凡人に大切なのは開き直るために・・・思い切れるか思い切れないか・・・結局勝負は思い切って開き直った者が勝ち、成功する・・・」

ただ「無心」なのは不毛だ。「無心」とは日頃積み上げられているものが脳裏に刻まれ、それが自然に出てくることなのである。つまり、脳裏に何も記憶されていなかったら何も出てこない。その違いがわかれば、本番の弱さというのは時間と共に必ず克服されるものだ。

そして最終限目「悔しい」での「東大って試験結果を教えてくれんじゃん・・・合格点まで15点足りなかった・・・例えば・・数学で後一問完答してれば・・・てとこかな・・・ホントあと少しだった・・・あとホンのちょっと頑張れば・・・そう考えると正直スゲエ悔しくてさ・・・でも俺、失敗したとは思ってない・・結果は落ちたけど・・失敗じゃない。ほんのちょっと足りなかっただけ。積み上げたことは失敗じゃない。来年その上にほんの少し積み上げればいいだけのこと」そこに桜木の「矢島・・・来年の春になったらまたここへ来い・・・こうして咲いてるから(桜が)」

人生、ある一つの結果の形だけを見据えていたら人生の発想が減点法になる。そうではないのだ。そんな事をうまく表現しているところだな、と思う。

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プロフィール
HN:
H. Noguchi Esq.
年齢:
51
性別:
男性
誕生日:
1972/08/21
職業:
音楽家
趣味:
多彩
自己紹介:
現在東京を基点に世界各地で活動している音楽家、トランペット奏者。自らの信念を基に、日々修行と交流に生きる。
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