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雑感。思いのままに。 Whatever I feel like writing, I will.
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オレが本番で平静心を保てるようになったきっかけ・・・事前の結果操作を止め、100%に執着しなくなってからだ。それに開眼したのは1999年。1994年~4年くらいはやはり自分との闘いに葛藤した。その時期に国際コンクールとかやってたからまぁあまり結果が出なかったのは当然だなぁ、と思う。でも自らの能力、ヴィジョンは自分で信じてたし、その苦労あっての現在だ。人生努力、研究を具体的にしていき、そこに意志力とインスピレーションが繋がればきっといい方向へ行くのだ。

そんなのを思い出させたきっかけが今偶然読んでいたドラゴン桜19巻。173限目「フリースロー対決」だ。そこに執着のメカニズムがわかりやすく書かれている。本番で緊張してしまう人、これを読んで見たら面白いかもしれない。結果に固執せずに尚且つ、自分が今からやるべき事を具体的にしっかりとイメージし、考えながら踏み出す一歩。怖く感じるだろうし、不安だろうと思う。しかし、その先に見えるものは、必ず本当の自分の持ち味を出すきっかけになっていくものだと思う。

後は20巻178限目「真の強者」。これはいい言葉が入っている。特に攻めと守りのアプローチを両方把握した真の強者の心理。「勝負所で躊躇するヤツは勝てないし成功しない。勝負が懸かった大事な場面で開き直れるか、開き直れないか・・・強者は思い込みで開き直れるが凡人に大切なのは開き直るために・・・思い切れるか思い切れないか・・・結局勝負は思い切って開き直った者が勝ち、成功する・・・」

ただ「無心」なのは不毛だ。「無心」とは日頃積み上げられているものが脳裏に刻まれ、それが自然に出てくることなのである。つまり、脳裏に何も記憶されていなかったら何も出てこない。その違いがわかれば、本番の弱さというのは時間と共に必ず克服されるものだ。

そして最終限目「悔しい」での「東大って試験結果を教えてくれんじゃん・・・合格点まで15点足りなかった・・・例えば・・数学で後一問完答してれば・・・てとこかな・・・ホントあと少しだった・・・あとホンのちょっと頑張れば・・・そう考えると正直スゲエ悔しくてさ・・・でも俺、失敗したとは思ってない・・結果は落ちたけど・・失敗じゃない。ほんのちょっと足りなかっただけ。積み上げたことは失敗じゃない。来年その上にほんの少し積み上げればいいだけのこと」そこに桜木の「矢島・・・来年の春になったらまたここへ来い・・・こうして咲いてるから(桜が)」

人生、ある一つの結果の形だけを見据えていたら人生の発想が減点法になる。そうではないのだ。そんな事をうまく表現しているところだな、と思う。
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(注:昨日です)

今朝(まぁ3度寝して14時に起きたから昼なのだが)、メールをチェックしていたらある一つのメルマガが入っていた。そこにはロマーノ・レヴィ氏が昨日に亡くなったという知らせが入っていた。実は、オレ、全くこの人の事を知らなかった。知っていたことといえば、いつぞやバー「Crane」のウェブサイトを見ていたときに、なにか「天使のグラッパ」というのを作っていた人の名前に似ているなぁ、と思い、クレインのサイトを見てみたらまさにその人だった。グラッパとはワインをつくるときに出るブドウの搾りかす、ヴィナッチャから作られるイタリア特産の蒸留酒である。

そして色々ロマーノ・レヴィについて色々調べてみた。すると彼の真にユニークで自分の信念を貫く一人の昔気質のイタリア気質を持ったおじいちゃん職人の姿がだんだんと浮かび上がってきた。簡単に紹介しておくと、彼はピエモンテに住んでいたグラッパ職人。もう残りほとんど作っている人がいないほぼ唯一の直火炊きのグラッパ職人。父、セラフィーノは1925年にこの地に蒸留所を開く。そしてロマーノは1928年生まれ。父が若くして亡くなると、ロマーノがその仕事を受け継ぐ。その時にまだ10代だった若きロマーノはまだ蒸留のノウハウ、手ほどきを受けていなかったはずだ。しかし、その頃から昔ながらの旧式蒸留器でグラッパを作り続ける。

使用されている葡萄は、地元産のバローロ、バルバレスコなどのネッビオーロ種、バルベーラ種、ドルチェット種、その他だという。熟成樽はオークを中心に、アカシアや栗、サクラ、ホワイトアッシュと様々で、熟成年数は2年位~忘れていた数十年物等とバラバラ。つまり一本として同じラベルの物がないし、同じ味がしない!それがロマーノ・レヴィの「天使のグラッパ」なのだ。

またこのおじいさんの描く絵や詩の書いてある手書きラベルが本当にチャーミング。素晴らしくアートしていて、オレはそれを見た瞬間惚れた。知り合いのバーテンダーに聞いても、味わいは本当にバラバラだが、旨いのは本当に激旨という。しかし、オレはそこにも惚れたのだ。人間の叡智を駆使して作り上げる、しかし、それが自然の摂理を凌駕することはない。それにすごく美しさと音楽に共通する物を感じる。完全なる手作り。そのばらつきさえも楽しむ心の余裕がなければいかんなぁ、人間。電話もなく(実際はあるらしいが)、購入を希望する者は、イタリアの彼の家に訪ねていかねばならない(業者を通して購入は可。しかし案の定高い)。ない時はない。ラベルが完成した分だけ、作られる。じいさんの体調不良の時は会えない時もある。しかし、人はそれを求めて旅をしてくる。

何かピーンと直感的に運命的な物を感じた。これはオレにとってかけがいのない出会いなのかもしれない。そう思って速攻信濃屋のサイトから買った。3本。もう一本買って合わせて4本。頑張って仕事をすれば、それくらいの分すぐ稼げる。思い立ったら即実行。

来るのが楽しみである。遅すぎたかもしれないこのグラッパとの出会い。しかし、最後に出会えたのは、ひょっとして後のオレの人生にとってとっても幸せなことなのかもしれない、と運命を感じる。

自分の理想と世の中の意識に悩むのは理想に生きる人間なら多々あることである。その葛藤がでも人生の大きな原動力の一つになるのは否めない。それは人生に必要なのではない。必須なのだ。これを乗り越えなければならないのだ。そこで


これはマイケル・キンメルマン(Michael Kimmelman)の著したThe Undefeated(無敗)というコラムからの抜粋である。

The New York Review Of Books 
Volume 52, Number 5 March 24, 2005

カペルの内向的性格と葛藤、自身が音楽に打ち込む時に感じていたジレンマが表現された言葉の一つである。これは1952年にカペルが作曲家で友人のヴァージル・トムソン(Virgil Thomson)に書いた手紙の一部である。その当時、コンサートレパートリーにアメリカの優れた作曲家が演奏される機会が非常に少なく、また歓迎されなかった風潮(彼のマネージャも彼がアメリカの作曲家の作品の演奏には強硬に反対したという)に対して綴った彼の切実な思いである。

If we allow the present and lamentable accent on commerce and sensationalism to combine, our whole musical culture will be threatened. The situation today appears very serious and no little bit tragic. The powers that control this noble profession are making nitwits out of the large public. I, for one, am sick and tired of going along in any way with so-called public "taste." Many artists do not realize that by doing so they slowly are dying, creatively; and when artists die, so does art.

もし我々が現在の憂慮すべき商業主義とセンセーショナリズムの強調がさらに相乗効果を持つようになったらこの我々の音楽文化は危機に瀕する。現在の状況は非常に切実な物であり、ちょっとの悲劇どころではない。この業界をコントロールしている巨大な力は、一般大衆、聴衆を完全に愚弄し、無知化している。(注※)私はこの「お客様が求めているもの」と称する物に同調するなんて真っ平ごめんだ。アーティスト(芸術家)がそれに妥協していったらそのアーティストはゆっくりと創造的な死へ向かっているのだ。それに気が付いていない。そしてアーティストが死に絶えたとき、アート(芸術)も死ぬ。

(注※)nitwitだが、「無能な、馬鹿な」を意味する言葉。語源は中部ドイツ語から(niht;それにwitを足すと「No-wit」、つまり馬鹿)来ているとされてる。

カペルは中々歯に衣着せぬしゃべり方や、典型的なニューヨーカー的アグレッシブさを持っていて、それでいてものすごく内向的でもあった。繊細で傷つきやすかった。えてして、爆発的なキャラクターは繊細なものだ。ルービンスタインとの不仲のエピソードも中々面白い。

【まぁ、ルービンスタインはオレは人間として好きではない。彼の回想録My Many Yearsを読むと、そのナルシストぶりに反吐が出るくらいだ。彼の音楽も大学2年生以来、ほとんど聴いていない。映像なんかでの彼の尊大で過度にドラマチックなしゃべり方をイメージすると不機嫌になるからだ。】

彼のタウン・ホールデビューの批評は、運命の日(飛行機事故)の12日前に発刊された。その少し後にカペルはユージーン・リストというピアニストと二人で手相師に占ってもらったそうだ。するとその手相師の女性はカペルに「彗星のようなキャリアだが、30歳前に激しく散っていく(死ぬ)だろう」と言ったそうな。

コープランドは、カペルの死の時に、自作のピアノ・ファンタジーをカペルを偲んで捧げた。現存する唯一のカペルの映像の中のテレビ番組「Omnibus」のホストでカペルの友人、アリステアー・クック(Alistair Cook)はその次の週のBBCのラジオ番組、Letter from Americaの中で賛辞を述べ、

「カペルは幸せな男として死んでいった。人生の半ばに差し掛かろうとしている多数の人間達が手にすることの出来ない幸運・・・自分を全く妥協する事なく、その人生の終わりまでベストを尽くす、ということが出来た数少ない人間であった。彼の人生の終わりはその始まりと同じようであった。彼のなりたかった姿、生意気で、だが忠実な「音楽」という存在に仕える身。彼が死んだ時は金など残さなかったが、飛行機の羽が山の尾根を擦った時、彼は散っていった・・・(※2)バニアンの「巡礼者」のように・・・無敗で。

Kapell died a lucky man. For not many men come into middle age hav[ing] been fortunate enough to go through to the end without, in some forgivable way, compromising their best. He ended as he began—a cocky, humble apprentice to the master he hoped to be. He left no money, but when the wing of his plane touched that mountain, he went out like Bunyan's pilgrim—undefeated.

この様に過去の名著(ジョン・バニアン[John Bunyan]のPilgrim's Progress(「天路歴程」と訳されている)という本を例に出し、格調高く、そして友への想いを込め、そして重くならないようにその中に若干ブラックユーモアを込める、そういう欧米文化の「wit」が理解出来ないと、音楽というのは見えてこないかもしれない。ちなみに英国から清教徒がメイフラワーでアメリカに上陸したのは1620年)

カペルの想い、言葉、危惧が現実の物となっているのは、彼の死後55年経った今の世の中、マスコミ主導の横暴がまかり通り、音楽業界が「商業」として牛耳っているのを見ても明らかだろう。オレも妥協などしない。利用などされない。自分の理想を貫く。それを18歳、大学1年生の時から胸に抱き、はや20年近く。道のりは遠い。だれも開拓したがらないあぜ道。しかし、これは自分の一生をつぎ込むに相応しい人生の事業だと思う。なので、葛藤が多い険しい道だが、それを歩むオレの表情は喜びに溢れていると思う。

今日のアンサンブルコンテストを見てもそう思った。この国に本当の音楽教育を施さねば、と。そして自分の信じる音楽を奏で、そのエネルギーで聴く人にインスピレーションを与えたい。


カペル関連のコラムはこちらから読める。キンメルマンの他の著、そしてシカゴ・トリビューンの著名な批評家だったClaudia Cassidy、そして作曲家ヴァージル・トムソンなど。英文だが、ゆっくり読解されたし。

http://www.williamkapell.com/articles/

【ちなみに、まだ残っているリンクもありますが、アメリカのカペルのウェブサイトからの演奏映像のリンクは削除されています。カペル未亡人のアンナ・ルーはカペル関連の資料に対する管理が大変厳しいようで。国際ピアノアーカイブスの友人に聞きました。残っているものも時間の問題かと。】
手帖を忘れて今日、明日の予定が全くわからなかった。両日、昼に何か予定が有ったような気がした。それを知る由も無く昨夜は爆睡。まだまだ夜更かしの分類だが、最近に比べたらまだマシな時間笑

朝、ピンポーンと起こされた。ホテルからの充電器、手帖、あとオークションで落としたウイスキーが来た。普段はすぐ開けるが、今日は完全寝ぼけモードで、手帖だけ開けてムニャムニャとしながらも手帖を開く。



アンコン全国大会!!しかも朝!!!これはヤバイぞ!


広島から弟子が来る。ジェルベーゼのピッコロパートを吹く。五木ひろしのウタバンかなんかの仕事を断って「行くからかませよ」と弟子に伝えたので、大見栄切って寝坊遅刻という粗相ならオレは腹を切って「ハモーンクラブ永世会長」にならねばならぬ。しかも、もう一つネックがあった。

吹連関連の行事等行ったことのないオレである。チケットなんて当日行けば楽勝だろうとタカを括っていた。そして、新湊に指導に行ったときに「それはヤバイですよ、今更取れないでしょ」と何人かがオレに言っていた。しかし、多忙に付き、忙しさにかまけてリサーチしてなかった。しかし考える時間なし。

起床時間9時31分。
弟子の演奏時間11時04分(だと思っていた)
家から高田馬場駅まで徒歩10分強。

しかも、「さいたまのどっか」しか知らなかった。


プチパニック



取り敢えず、超速でシャワー浴びて、身嗜み調え、準備して家を出る。出たのが9時49分。

そして、T/Uに電話をする。知らないけど、知ってそうな人に電話してくれると言う。

一分後、電話が来る。

さいたま市文化センター。

iモードで検索。南浦和。間に合うかも。タクシーに飛び乗り、その間にぴたのりで検索。高田馬場着955。958に乗る。その間に武蔵浦和からのオプションがないか検索。埼京線快速に乗って武蔵浦和まで行き、タクシーに乗ることにした。武蔵浦和着1028分。タクシーでさいたま市文化センター着1045分。


そして、当日券は当たり前の様になかった苦笑

そこで、知り合いに電話をする。ちょっとあたってくれるという。10分待ってもらえますか?ということで待つ。1055分ぐらい。

万事休すかと思い、強談も考えたが、どう考えてもこっちの粗相だもんねぇ…

すると、修道の演奏は1114からということが判明。そして知り合いから連絡があり、チケットをくれる人の番号をくれた。その人に電話したら、一分で現れてチケットをいただく。有難うございますm(__)m

その前の団体が外で二分ぐらいちょこっと聴けた笑

間に合った。奇跡の強運笑


さて、肝心の弟子の演奏だが堂々とした力強い演奏だった。まぁ力で押したり、フレーズのセンスはまだまだ無骨で未熟だが、育てがいがある。一年生だが(四月から二年)ジェルベーゼのピッコロパートを難無く吹ける。センスを磨かんとな。

その後、しばらく色々な団体を聴いた。全体を通して思うのだが、一番やはり思うのはサウンドが貧相だ。そして音楽的スケールに乏しく、独創性に欠ける。一団体、熊本の盲学校はいいアンサンブルに加えてとてもいい音楽だった。後は、技術はあるし、アンサンブルもいいけど、その先に感じない。やはり「競技としての音楽」だからね。国際コンクールでも、空前絶後の演奏なんて10年に一度だろう。表彰式を見て、審査員は何を基準にどういう判断をしてるか知りたかったね。オレとは違った耳を持っているようだったので。ちゃんとオレ、耳の掃除はしているのに、おかしいなぁ笑

まぁ審査する側に立ったことも多々あるから、難しいのはわかるがね。金管楽器に関して言えば金賞と銅賞の差は0点だ。サウンド、スタイル、音楽の表現の幅には大差ない。


後は「ゴールド金賞」「キャーーー」「銅賞」「ショボーン」てのも大っ嫌い。そういうのを見ながら、みんなが青春を懸けているのはわかるけど、もっと大きなものを目指してほしい。音楽の道に進む進まないは別にして、もっと音楽に親しみ、音楽の奥の深さを知って欲しい。中高生だからしょうがないではなくて。

これから音楽の高等教育をどうすべきか、中高生の教育をどうするか、はっきりと見えた。かねてからの懸案、JCMSのナショナル・オーナーズプログラムの確立に尽力する。
なんか、日本語と日本の固有の論理体系って不便なんだよね…英語でパキッと突き放すように叱るニュアンスを日本語で使うと角が立つ。ちゅうか、それを使うことによってその言葉を発している人間が「イヤな奴」に仕立て上げられる文化的背景がある。不必要で小義な遺恨を感じさせるめんどくささ。その窮屈さが、オレは大っ嫌いだ。

それについてだが、日本の世俗の根底にある要素の一部、「恨みつらみ」の世界、文化に通じるものがあると感じる。昼ドラやらワイドショーのノゾキ趣味(自分のことは棚上げで他人のゴシップに首を突っ込む)やドロドロな陰湿さというのはこの文化の副産物だ。

日本人の美徳足る、表現における抑揚の節制は格調高い芸術となると同時に、逆に人を内向的に抑圧しパッシブ・アグレッシブにさせる面も持つ諸刃の剣である。表立てて自分の個人の意志ではっきりと表現しない(出来ない)分、他人も巻き込んで、意識を共有しているという安心感の後楯の元に陰湿に他人の攻撃をする。自分の判断基準に基づいた行動をしていないから、常軌を逸した行動もそのまま疑問を挟まず、加減を知らずにやってしまう。そして自分が絶対多数の側に立っている限りは絶対反省しない。

この陰湿さにセンセーショナルさを加えると、とんでもない行為が黙認される。一般市民のメディアリテラシーを踏み潰すような確信犯的行動を起こすマスコミ主導の世論、価値観形成が行われる、ということもあながち不思議ではあるまい。この現象をメディア・ファシズムと呼んでもおかしくない。

この横暴さは社会のうえに大きな影を落とす。日本社会におけるいじめ、流行に流される、ミーハー、外国に認められたい自意識過剰、というのは全て内向的内弁慶的なもので、中に蓄積された欝憤は破裂する。その結果、抑揚というものは存在を失う。ちなみに日本が「国際的に注目を浴びている日本人」とブチ上げる人たちの大多数が注目等まるで浴びてない。宣伝費が多くなればなるほどウソ、誇張も大掛かりになる。ジャパンとジャパンマネーで操作した海外のリップサービスだ、祭騒ぎの元凶は。


それに窮屈さを感じる事は多々ある。配慮というのは根底にある自分の信念を妥協することではない。突っぱねることも必要なのだ。

なんか、日本に住んでる自分がなんでも受け入れ、その中から最善を尽くす、という自分の性格の一面に存在する偽善がいやだ。英語なら受け入れたくないことは2秒で決断し、拒否できる。同じ事を角を立てずに日本語でやると5分掛かる(苦笑)

もっとオレは「動かない事山の如し」で、堂々としているべきだ、と自分に言いたい。拒否すべきものは「いつも通り秒殺」。日本語でも。

支離滅裂、しかし眠いからいい笑

おやすみ。
まだミクシィと両立状態で結構中途半端になっている。4月をメドに以降はする方向なのだが。まぁまた詳しくはこちらでもお知らせします。
NFLを引っ張ってきた我がライバルチームのQB、Brett Favreがついに引退した。ダン・マリーノやジョン・エルウェイと並ぶ偉大なこのクオーターバック。ファイティングスピリットと、現代NFLでまれに見るタフネス。253試合レギュラーシーズン連続出場。これはプロ野球の比ではないのだ。タックルをガンガン食らって、怪我のリスクはどのスポーツよりも多いといってもいいアメリカン・フットボール(オレにとってフットボールとはアメフトであって断じてサッカーではない)での16年間ほぼ全試合スタメン出場というのはとてつもない偉業なのだ。我がブロンコスの宿敵、1998年のスーパーボウルで戦い、今年のジャイアンツVSペイトリオッツとならぶ名試合を戦ったファーヴとエルウェイの両雄。そしてエルウェイ16年目にしての悲願達成。ファーヴはその時、「I didn't have it today」と素直に負けを認めた。圧倒的にメディアのセンセーショナルな報道でパッカーズのボロ勝ちが予想されていたその時、非常にパッカーズに反感を抱いていたのだが、ファーヴの潔いスポーツマンシップを感じて、オレはファーヴの事をいい戦士だな、と思っていた。

そんな彼も引退。

段々、スポーツというものが自分の生活の日常から遠ざかっていくのを感じさせる、寂しい一瞬だった。

最近のTVのスポーツは過剰にセンセーショナルな報道と拝金主義の台頭により、子供に夢を与えるものではなくなってしまった。はっきり言って、大衆娯楽としてのスポーツにも終焉が訪れるのではないか、と内心危惧する所がないでもない。

さよなら、ファーヴ。お疲れ様。
さてさて、こちらのブログで初めてのエントリーとなった。ミクシィの動向が気になるが、こっちに徐々に移行していこうかな、と思う。とりあえず今日はこれまで。
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プロフィール
HN:
H. Noguchi Esq.
年齢:
51
性別:
男性
誕生日:
1972/08/21
職業:
音楽家
趣味:
多彩
自己紹介:
現在東京を基点に世界各地で活動している音楽家、トランペット奏者。自らの信念を基に、日々修行と交流に生きる。
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