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雑感。思いのままに。 Whatever I feel like writing, I will.
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なんか、日本語と日本の固有の論理体系って不便なんだよね…英語でパキッと突き放すように叱るニュアンスを日本語で使うと角が立つ。ちゅうか、それを使うことによってその言葉を発している人間が「イヤな奴」に仕立て上げられる文化的背景がある。不必要で小義な遺恨を感じさせるめんどくささ。その窮屈さが、オレは大っ嫌いだ。

それについてだが、日本の世俗の根底にある要素の一部、「恨みつらみ」の世界、文化に通じるものがあると感じる。昼ドラやらワイドショーのノゾキ趣味(自分のことは棚上げで他人のゴシップに首を突っ込む)やドロドロな陰湿さというのはこの文化の副産物だ。

日本人の美徳足る、表現における抑揚の節制は格調高い芸術となると同時に、逆に人を内向的に抑圧しパッシブ・アグレッシブにさせる面も持つ諸刃の剣である。表立てて自分の個人の意志ではっきりと表現しない(出来ない)分、他人も巻き込んで、意識を共有しているという安心感の後楯の元に陰湿に他人の攻撃をする。自分の判断基準に基づいた行動をしていないから、常軌を逸した行動もそのまま疑問を挟まず、加減を知らずにやってしまう。そして自分が絶対多数の側に立っている限りは絶対反省しない。

この陰湿さにセンセーショナルさを加えると、とんでもない行為が黙認される。一般市民のメディアリテラシーを踏み潰すような確信犯的行動を起こすマスコミ主導の世論、価値観形成が行われる、ということもあながち不思議ではあるまい。この現象をメディア・ファシズムと呼んでもおかしくない。

この横暴さは社会のうえに大きな影を落とす。日本社会におけるいじめ、流行に流される、ミーハー、外国に認められたい自意識過剰、というのは全て内向的内弁慶的なもので、中に蓄積された欝憤は破裂する。その結果、抑揚というものは存在を失う。ちなみに日本が「国際的に注目を浴びている日本人」とブチ上げる人たちの大多数が注目等まるで浴びてない。宣伝費が多くなればなるほどウソ、誇張も大掛かりになる。ジャパンとジャパンマネーで操作した海外のリップサービスだ、祭騒ぎの元凶は。


それに窮屈さを感じる事は多々ある。配慮というのは根底にある自分の信念を妥協することではない。突っぱねることも必要なのだ。

なんか、日本に住んでる自分がなんでも受け入れ、その中から最善を尽くす、という自分の性格の一面に存在する偽善がいやだ。英語なら受け入れたくないことは2秒で決断し、拒否できる。同じ事を角を立てずに日本語でやると5分掛かる(苦笑)

もっとオレは「動かない事山の如し」で、堂々としているべきだ、と自分に言いたい。拒否すべきものは「いつも通り秒殺」。日本語でも。

支離滅裂、しかし眠いからいい笑

おやすみ。
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H. Noguchi Esq.
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自己紹介:
現在東京を基点に世界各地で活動している音楽家、トランペット奏者。自らの信念を基に、日々修行と交流に生きる。
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